*既に、「人間」の姿をとどめてはいません2007.03.20 0:39
⑴“三毒”とは?皆様は、「三毒」という単語をお聞きになられた事がありますか?
「三毒」という単語の響きから“私”が判断すると、「この世に同調する*“色(欲)を持つ、肉体の無いエネルギー体”の影響」を表すらしく、先人はこの「色」から成る世界を「毒」と呼んでいました……その「毒」の種類を大きく三つに分けて「三毒」。
“私”は、幼い頃、この世のモノノケの世界がよく分りませんでした。
この「三毒」という単語も、ある教本の中で知り得た言葉でした。
その教本には、「三毒」の種類や正体までは記されておりませんでしたが、内容の言霊から浮かび上がってくる存在を、歳月と共に多く目にする様になり、自分自身が成長した今は「この実態を表現していたのだ」と実感しています。
それに対する解説を以下に記します。
これから以下に記す内容は、“私”から観察し得た「“気”の世界観」からのご報告です。
2007.03.20 11:56
⑵“お稲荷様”と「色キツネ」の違い(白キツネ以外)俗に言う*“お稲荷様”と「色キツネ」は、混同されてしまう事が多々有り
ますが、れっきとした別物でした。
「人間」独自の発想で何かを創れる程、賢い存在はこの世に居(ルビ・お)らず、必ず「インスピレーション」という『天恵』を受けて(全ては宇宙に存在するモノの真似)地球上の物質は出来ているので、その点も勘違いしている人間には納得する事も難しいかもしれない問題ですが、段々と色んな“真理”を受け入れられる「心」=“器”が育つと、すべてに合点が行く筈なので、遠慮せずに堂々とこの問題に立ち向かって、“私”独自の解説をして行きたいと思います。
「色キツネ」は“お稲荷様”に成り済まし、芝居を演じている「存在」でした。
本来“お稲荷様”は、豊穣(主に“田畑”)の神様で「衣食住」を司る=“精霊”です。
「人間」に憑く(または守護する)ほど暇ではありません。
本当の“お稲荷様”は、土地や畑、田の作物の成長を見守る“エネルギー体”等の管理・運営を指揮する「存在」です。「人間」の日常生活には、関心がありません。
その恩恵を受けて生活をさせて頂く私達は、“お稲荷様”に対し、当然「感謝の心」を忘れてはいけないでしょう。
ここで、区別しなければなりませんが、“白い姿のキツネ”の存在は、稲荷神の御使(ルビ・みつか)いです。彼ら、白い姿をした御使いは決して他に化けたりは致しません。
「我は、お稲荷様の御使いだ!」と、プライド(=誇り)を持って仕事をしています。
2007.03.20 12:41
⑶「色キツネ」の正体「色キツネ」の元の姿は、「人間」です。
「人間」が懐に持つ『プライド』という*“石”を捨てきれず、成仏出来ない状態の「邪霊」です。
観音様やお釈迦様、イエス様、マリア様…と、面識もない“化けキツネ”。
しかし、勝手な想像で何にでも化け、生きている人の気を引こうと、精一杯の力で*成り切り芝居をする「色キツネ」達。
その「色キツネ」達も、始めからその様な姿で、化けていたのではないでしょう。
成仏出来ない悔しさや忘れ去られてしまう寂しさからか、ちょこちょこ奉られている*“お稲荷様”(この姿も、ほとんどが「御使い」の姿)に成り済まし、人に話し掛けてもらっては、その話し相手をその気にさせて“ダマす”。
本当は、誰かの気を引きたいだけの“淋しがりや”。
大霊は、大きな“心”です。
肉眼で映るとすれば、“光明”です。
霊的な目で見れば、確かに姿もあります。
しかし、その様な事象にいちいち一喜一憂するような“心の波”を持つ人物の
前には、中々「大霊」との同調は訪れません、残念ながら。
しかし、騙し騙されて、やがてその「心」が何事にも動じなくなる頃、本物の「大霊」との出会いがやって来るかも知れません。
その様に仕組まれているのです。
何事に於いても、「心の成長」があって、「その体験」をさせられているのです。
私達は自分達の“小ささ”を知りません。
その*“小ささ”を理解する事が、まず最初の一歩なのです。
2007.03.20 13:05
⑷どのような「心」に、「色キツネ」との同調があるか?三次元の♭に同調する“波”が出ていたら、「色キツネ」との同調は、誰にでも起こり得ます。
変な言い回しですが、「三次元に生きる私達、肉体を持つ全員が、「色キツネ」を憑けている」のです。
こんな大口を叩く“利っちゃん”自身も、皆様と同様、*物心つくと同時に「色キツネと同調する考え方」が憑いておりました。……これを、剥(ルビ・は)ぎ取る作業は至難の技です。
しかし、それをただ「認めてあげる」だけでもとても楽になったのです。
「色キツネ」は、コンコンと鳴き(咳をする)、皆様へアピールする存在です。
(注意:ここで語る「色キツネ」は、動物の「きつね」とは、全くの別物です)
誰しも、時として“誇(ルビ・ほこ)り(=埃(ルビ・ほこり))ある態度”でする“咳払い”。
その“咳払い”は、「人前で偉そうな言葉・ほめられそうな言葉・いい格好しようとする」などの欲を出したために、通常のチャクラの回転が逆回転となり、それにより腹の中の白石(真珠)と黒石(オニキス)が削られ、空気中へと放出されて混ざり、「灰色の粉」となって、当人の喉・口で吸い込んだため、「咳」として「厄払い」(=浄化)している、自然循環現象の一つです。
“こんがり”とした「きつね色」は、三次元のチャクラ「黄色」(黄水晶=シトリン)と、この「灰色の粉」が混じり合って出来た「色」です。
「色キツネ」と同じ事は、生きている我々は、誰でもやっています。
……ちょっと偉そうに誰かに「意見」したり、威張って「文句」を言ってみたり。
誇り(埃)ある態度に取り憑いては、他者の「良い気を吸う」……ちょっと頭の良い「色キツネ」は、それを喜んで気持ち良くなっては、色んな世間の“色(=欲)”を予知・予感・予見をさせ、どんどんと取り憑いた人間と同化していき、“自分達”を神格化させていく。
そんな「色キツネ」達の悪さも、時代と共に巧妙化しているようです。
現在では、人前で良い気になり、過剰反応し、人気(ルビ・ひとけ)がなくなると途端に他者の“気”が吸えないので「焦る」。
これは、取り憑く「色キツネ」そのものの精神状態を味わう体験です。
*本来の“あなた”の感情ではありません。
そんな「浮き沈み」を繰り返し、個人的な関係を持ちたがらない状態が続くと、「病気」へと陥っていきます。
もちろん、*“咳をする”病にも、気を付けたいものです。
2007.03.20 15:06
⑸「色キツネ」対策誰にでも憑いている「色キツネ」……などと皆様を脅かせた事、大変失礼致しました。
では、どの様にしてその「好色キツネ」と向き合ったら良いのでしょうか?……脱「色キツネ」とは?
皆様が「霊能者」だとしても、中々この様な存在と*“縁を切る”事は、“息を止める”事と同じくらい難しい事と思われます。
そうは、思えませんか?
現在、地球上に60億の人口が居たとして、過去に亡くなられた数の方が多いのは歴然です。
その方々が殆ど死後の世界を知らないで、「死」を迎えていたとしたら……?
もし“知っていた”としても、当時「墓に入る」と教えられた先祖は、“上(↑天)に帰ろう”とする発想がない。
そうだとしたら、当然「墓に住む」=成仏しない人達が沢山居るかも知れません。
ここで、「何が言いたいか」 と申しますと、*「色キツネ」に憑かれて
居ようが居まいが、「いちいち気にはしていられない」という事です。
何だか「開き直ったか」の様に聞こえてしまいますか?
ですが、その様に「理解してしまえば良い」のです。
そんな「威力」が、この世に働いていて、生きる力を与えられている一人ひとりの“本来の輝き”を曇らせ、霞(ルビ・かすみ)を着せてしまう存在が、目には見えないけれど「確かに“居る”」と、納得してしまう事からです。
そして、そんな“モノの気(ルビ・け)”意識には「負けない自分」を、築(気付)いてしまえば良いのです。
これらを理解し、実行する事は、そんなに難しい事でしょうか。
たった独りだけの「理解」で実行すれば、めげて、いつも敗北感を味わうかも知れません。
しかし、みんなで学んで、お互いを励まし合い、そんな“空気の状態”をお互いに注意し、見守り、「支え合える人間関係」にしてしまえば、いつかは
きっとそういう世の中を作れる筈です。私達自身の力で。
まずは、“私”=“あなた”から、始めましょう!
それから、「この先、成仏出来ない色キツネ達の運命はどうなるのか?」を、ご心配される皆様、その心配はご無用です。
霊的知識を学び、私達の波動が上がると同時に、今迄誰かに取り憑いていた「色キツネ」達も、その誰かと私達が一緒に勉強(嫌でも聞こえる)する事になり、「“人”としての意識」を取り戻し、霊界へ旅立って行けます。
そんな「不思議な法則」も霊界には、きちんと働いております。
……これが、*本当の「淨霊」のあり方です。
2007.03.20 13:29
⑹二次元の毒=「タヌキ」さて、三次元の「色キツネ」の次は二次元です。
ここは、「タヌキ」と同調出来る様になります。
二次元の特徴は、前章で既にご説明した通りです。
二次元の味覚の同調は「甘さ」、オーラは「オレンジ色の輝き」(=マーマレード状)です。
それが、♭な扉をくぐると、ドロドロとした「チョコレート状態」となります。
泥の様な「チョコレート」は、光沢こそあれ輝きは透(ルビ・とお)しません。
あの「泥舟」を造った、タヌキの昔話を思い出しませんか?
けれど、チョコレート好きな方々から見れば、それはそれは「輝いた食べ物」と観えるのでしょうか。
「タヌキ」と同調する皆様は、この「チョコレート色のオーラ」を身にまとっています。
往々にして太った「タヌキ」さん体型も多いですが、もちろん、スマートな「タヌキ」さんも沢山います。
2007.03.20 13:46
⑺「タヌキ」と同調する「考え方」「タヌキ」と同調する「考え方」は、常に「美味(ルビ・おい)しい体験」であれば『満足』しています。
・こう「する or 言う」と他者から「スゴい」と自慢出来る事が、「美味しい」。
・こう「する or 言う」と他者から「良い人」と誉められる事が、「美味しい」。
・こう「する or 言う」と他者より「得をする(早く帰れる、酒飲める等々)」事で「美味しい」。
これらに見る二者択一、または、対比する「どちらが、どれが」を、いつも「選り好みしている人達」です。
基本的には、「美味しい事」しか頭になく、他の考え方を受け入れないので太ってくるのです。
それが得てして「体型」に出て来て、あの「太った酒樽を持ったタヌキ」の形容姿に成りました。
あれは偶然ではなく、「ありのままの姿」が表現されているだけです。
ただし、本人だけの意識では中々気が付きません。
他者が見れば面白い有り様でも、これを知ったご本人からは「汗」が出て来そうですね。
この「汗」に似た成分、これさえも「酒」。
甘い「酒」が、相応の「病気」を引き寄せます。
この様な*酒=甘さが、身体から出て来る症状の方々、どうぞ気を付けて下さい。
「汗」は、色んな所から出て来るモノです……。
2007.03.20 14:55
⑻「タヌキ」の正体イタチに似た“飯綱(ルビ・いづな)”と呼ばれる霊的動物がいます。元々飯綱は、破壊の神の優秀な御使いで、とても機敏に団体(時に個別行動もする)で行動します。
その姿を真似し、でも、好きな事や自分のためになる事しかしないので、どんどん太っていった姿が、あの「タヌキ」です。
現在の*“飯綱”は、修行(過去世など)を行った者の使者として、全国で仕事をしています。
一方「タヌキ」は、「美味しいモノは独り占め」が好きなので、基本的には団体行動をしません。
2007.03.20 0:58
⑼毒の極み=*「ヘビ」太古の昔から「ヘビ」は、「悪魔の化身」と言われて来ました。
「ヘビ」は、クルクルと形を変え、その動きで「龍神」の文字を真似て、「文字本来の意味」を、受け取る側に、違う意味を思わせることによって、現在も作り変えています。それが進化を生んでいるとも言えます。
「ヘビ」は、頭の回転が極めて速い「天才」です。
「ヘビ」は、計画性があり、罠を仕掛けては人を『地獄』に導く「策略家」です。
「ヘビ」が憑くと異常に「執着心」が強くなるので、並大抵では諦めません。
「ヘビ」は、「計算」と「金集め」を得意とします。
「ヘビ」の狙いは、「人間」を最終的に「失望のどん底に陥れる」事です。
そうして「ヘビ」は、地の底へと落とし、私達を自分達の仲間として向かい入れ、這(ルビ・は)いずり回る勢力を増やしたいのです。
何の為に? この世を「闇で満たす」為でしょうか?
それが、神に反逆した「悪魔の手下」と呼ばれる所以(ルビ・ゆえん)なのでしょう。
2007.03.20 1:13
⑽「ヘビ」の正体世界中の神話、逸話、昔話に登場する「ヘビ」は、大体が「悪者」です。
アダムとエバにりんごを勧めたモノも「ヘビ」です。
若い娘を生け贄に捧げさせていた「八岐大蛇」も八頭の「ヘビ」でした。
釈迦もイエスも、何度も「ヘビ」に狙われ、そそのかされました。
そのようなストーリーに「ヘビ」は格好の「悪役」です。
“私”も例外ではなく、この「ヘビ」で何度か痛い目にあいました。
この様な役回りの「ヘビ」は、私達と「存在の意義」が全く違います。
「色キツネや“タヌキ」の様に、元々が「人間」ではありません。
この章の題名となる『三毒』には、“五濁”という単語が続きます。
*『三毒』による“五つの濁り”とは……。
「三毒」を、しいて単語にするならば、
・「傲慢」……極悪な三次元的発想=色キツネ=「三次元的誇示」から来る誘惑
・「強欲」……極悪な二次元的発想= タヌキ=「二者との摩擦」から来る誘惑
・「殺意」……極悪な一次元的発想= ヘビ =「孤独な世界観」から来る誘惑
という“心の惑い”を表しています。
「五濁」を前述では、「憎む(妬む)・恨む・怠ける・逃げる・蔑(ルビ・さげす)む(侮(ルビ・あなど)る)」と言いました。
*『三毒』を飲んだ者から湧き出る、重力を持つ濁った“気”=意識(思い)が『五濁』です。
宇宙の創世では、「悪」が「ヘビ」を創り、そして「宇宙が出来た」と話している民話も登場します。
“私”は、三次元での話の中で、「“光”が、『闇』を創った」と紹介しました。
また、「悪は『無知』からだ」と述べました。
つまり、「知らない」事が、「悪」を作り出しているのです。
ここで、“私”は思います。
「ヘビ」は、クルクルと回転する、「円を描く運動を性質に持つ動物」です。
“円”は“縁”を作り、また、宇宙の球体、“星”の形をも表しています。
「悪魔の手先」となり、地に這う『三毒五濁』を敷き詰めて、三次元から人間を地獄へと引きずり降ろし、奈落の底へ追いやる存在……これが「ヘビ」。
この「ヘビ」という存在、実は様々な『真理』で「悪役」を自ら買って出てくれた、私達にとって無くてはならない「反面教師」なのではないか……と思うのです。
2007.03.20 1:33
⑾「ヘビ」の存在する意義ここで、私達は、尊い未来に光を見出す為に、「新しい真理」を画策しなくては成りません。
何故なら、「ヘビ」という存在の解釈を、いつまでも「偏狭な目」で見ている社会からでは、私達は「堂々巡り」から抜けられず、いつまでもこれ以上の「進歩は望めなくなっている」からです。
「悪役」を誰かにさせ、正義のヒーローを応援する「稚拙な考え方をする社会」からはもう抜け出さなくては、私達の社会の何もかもが、“変われない”のです。
この世での私達の肉体へ取り巻く影響力は、本来「本能で動く動物的な欲望」が強く働いています。
それが「地に張り付く」事を望む理由です。(浮かばれないで、成仏出来ない理由)
ここでは、何回も繰り返し言います。
私達は、元々が“霊的な存在”です。
その*霊的な私達が、この世に来て「我」に始まり、様々な精霊・神仏・
天使などに導かれ、ここで精神性を養い、鍛え、そして「吾(ルビ・われ)(「我」ではない、「吾(ルビ・あ)」……五次元の感覚で生きる事)」)に立ち返り、死後、天へと帰る為、この世での“光”(この場合「道」)を見出す必要があります。……この「吾」を心で思う時、「悟り」にまた一つ近付きます。
私達が、本当に戦わなくてはならない相手は、『無知』という「自分自身」です。
『無知』さ故に、様々な「恐怖」という“対象物”を生み出し、「自分自身」をついつい可愛がり、知ろうとしない。
自分の殻を破らなくては成長しない筈ですが、忘れているが故からの行為は、自分の殻をより「強固」に築きます。
*これも、『無知さ』故からなのです。
私達は、『悪』という存在がなければ、“光”に導かれている事さえ理解出来ない「人間」です。
私達は、『悪』の正体を己の力で知り、学ぶ事で、自分自身を“光明”へと
導く「存在」です。
私達は、『真理』を自身の腑に落とし、それらを『智慧』として学び、*真からの輝きを「自分自信」で取り戻そうとする為、この世へ生れついた「存在」なのです……。
2007.03.20 2:43
⑿この章のまとめここで最後に、『三毒』を言霊の“韻”で、まとめてみましょう。
私達は、この三次元へ「意志(石)」を持って……「意(i)」&「刺・思・志・四・師・死・支(si)等々」色んな刺激を求めて降り立ち、「生(sei)」を営んでいます。
三次元の“3”という次元の♭(「不満=イライラ」)は、「病」が始まる階層でした。
その「病」のヤマイダレの中に在る「丙」の字は、甲・乙・「丙」…の「三」を表す「意味」を持っています。
そして、「病」の言霊の韻、「矢(ルビ・や)」「間(ルビ・ま)」「射(ルビ・い)」は、『“矢”で“間”を“射”る』という“気”の世界からのメッセージです。
“矢”……この“や”は、文字で表されている様に、「傷付ける道具」です。
“間”……この“ま”は、あいだ、すきま、むら……、「生きている時間」です。
“射”……この“い”は、射る、打つ、刺す、という「傷付ける行為」で、意に刻み、魂へ記録させています。
「病は“気”から」。
私達は、「良い気=酔う気」などに自分を浸らせる(自ら科す)行為によって、“空(ルビ・す)き魔(ルビ・ま)”を作り、自分自身を傷付け、「目を覚まさせよう」と、「病」に“仕返しされる”のです。
これは、とても有り難い事です。
「不幸」だと嫌っていては、人生のすべてに於いて学べません。
*何もしない“あなた”には、「不幸」さえ寄って来てはくれません。
三次元の♯の明るい階層は、“元気”の間を割って射られる“矢”が、♭裏まで達して“気”を漏らし、“あなた”の身体を弱(ルビ・よわ)らせる場所です。
それは、「酔(ルビ・よ)わされて弱る“あなた”を、何者かが罠に、はめたと同じです。
ここに、「憑衣が起きたかもしれない」という意味です。
「憑衣されても」気になさらないで結構です。更に続けます。
自分に酔(ルビ・よ)ったフラフラな“あなた”は、精神が狂(ルビ・クル)い出し、*更に波動を落としていきます。
地の底で、“ヘビ”が待っていて、*“クルクル”と首にとぐろを巻く回転運動
(輪廻)が、自らの行いで“苦しみ”を「来(ルビ・く)る(=招く)・死(ルビ・し)(=思)・味(ルビ・み)(=体験)」を招いていた。
この「苦し“み”」の味が、“む(無)”へと転じながら、「“無”我“夢”中」で過ぎ去って行く……これが、この世の現実です。
それが事実、智慧(法則)を知らないで過越した、「人間の一生」です。
殆どの「人間の一生」とは、「こんな現実を生かされている」のではないでしょうか。